ペンギンをみて

気づき

会社の机には2つのPC画面がある。
自動で選んできてくれた今日の待ち受け画面には、氷の溶けた緑の上に立つペンギン。
青い空の下全く同じペンギンが2羽、それぞれの画面に立っている。

でもしばらく眺めていると、左右で少し色味がちがうことに気づく。
左の画面のほうが空の水色は緑がかっていて
右の方は群青に近い水色。
画質の施され方、設定のされ方で 
全く同じ画像なのに全然ちがう印象を与える。

ハッと認識しなおしたことがある。
そうか、こういうことかー。
「人はみんなそれぞれ、考え方や価値観はちがいます」
よく耳にするフレーズ。よくわかっているつもりでいたこと。
それをスペックのちがうPCを見て、改めて理解し直した。

スペックのちがうPCたちは、スペック通りにしか反応できない。そうしかできない。
そして人にも似たようなことが言えるなー ということ。

同じものを見ても、聞いても
人は1人ひとり、受けとるもの表現するものが全然ちがったりする。
生きてきた、過ごしてきたなかで見てきた景色がちがうから
ひとつの物への見方も違えば、考え方、捉え方も違う。
そこに思いやりとか悪気とかもなく。
そうやって生きてきているから、そうしかできない。

だから、目の前で自分の予想を超える反応をしている人がいても、これは信じられないことでも悪いことでもなんでもない。
スペック(生き方、これまでの生きてきた課程)がちがうので、その人はそうしかできないから◎
で、じぶんもじぶんが思うようにしかできないから。
だから、食い違うことが起きるのは、当たり前のこと。 

そんなことを、認識し直した。

(PC画面を見て…笑)

でも人はPCとは違う。広がっていける。変わっていける。

だからまずは受けとめてみる。
とりあえず否定しない、認めて受け入れる。
みんなバラバラのその感じ方を発し合うことがあるとき。
いい わるい とかでなくて
正しい 正しくない とかでなくて。
だってその基準も、自分の基準なので、みんな言い分があってきっとなかなか変えられない。
だから 異質を避けるでなく、攻撃するでもなく
まず受けとめ合う。

で、ここがきっとまた大切で
力まかせに誰かを変えることはきっとできない。
人は自分でしか変われない きっと。
変わってほしいと押しつけるのではなくて
認め合って、影響し合うこと。

誰かの感覚も 自分の感覚も 認め合えていればそのうちに、
それぞれの中から変化が生まれてくるかもしれない。
誰かのスペックが変わっていけるかもしれない

2羽のペンギンを見て そうかーとつぶやいて。
そんなことを思ったある日。

🐧

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