ロビンソン。

小話

ある日のこと、お風呂から8歳のムスコサンのご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。
耳をすますと聞き覚えのあるメロディと歌詞を口ずさんでいることに気づいて、不思議な感覚が沸き起こった。
今流行りの曲ではなくて、自分が昔からよく知る歌だったから。
スピッツのロビンソンだった。

お風呂から上がってくると彼は話した。
「ぼくロビンソンむっちゃすきやわ」。
8歳。 どこで覚えてきたロビンソン。

自分が何度も元気をもらってきた音楽に
何十年後を生きているこの人が同じようにパワーをもらっているということに
ちょっと心臓をあつくするものがあって
時が経ってもいいものは変わらず響くんやなと思い直す。

それでそこからふと気づき直して。
いいものだけじゃないな、わるいものも、どんなことでもそのもの自体は変わらない。
それを その時の環境とか、世界とか、時代が判断して良し悪しを決めているだけで
すばらしいものがそうは捉えられない時もあるし
ときに、悪いものがよいとされることもきっと起こり得ている。

だからいつも、自分はどうなのかという感覚を ちゃんと持っていなきゃなと。
自分にそれがほんとうにいいのかをいつも感じていないといけないし
何かが自分を否としたときにも、それもほんとうにそうなのか、勇気をもってちゃんと見つめられないといけない。

その感度を上げるためにヨガがあるし
そのつよさを育んでいくためにもヨガがある。
続けていると 間違いなくそれらが養われていくし
肩の力が抜けて 生きることも軽やかになっていくからまた不思議。

呼吸する。 力を抜く。 いつもそこから。
ヨガの教えのように 大きな中ですべてが生かされているのだとしたら
ロビンソンにでてくる「宇宙の風にのる」というのはあながちおとぎ話のようでもなくて
風に身を任して、どこへ連れて行かれたとしても
誠実に、正直に、できるだけ迷惑をかけないようにと努めていれば 
きっとだいじょうぶなのかなと。

コメント