感度。

気づき

今世これまでの人生、だれかから言われてやってきたことのほうがうまくいったことが多いように感じている。

大学4年の頃、ふわふわと就職活動をしていたとき母親にすすめられ、急遽岐阜県まで2ヶ月半かけて取得しに行った図書館司書の資格。
その後、こどものあそび道具を扱う某有名企業に内定をいただき、髪の毛の先から足の爪の先まで夢いっぱいで就職するが、9ヶ月で退社。
その後 再就職先で長く勤められたのは、図書館員の仕事だった。

就活中に、友人に「企業に就職するの??!」と言われていたことも思い出される。当然のように「するやろ!!?」と答えたことが懐かしい。
当時は「企業に就職せんって思ってるって、わたしをどんな風に思ってるんや??!」と謎に思っていたが、
その友人は、かなりちゃんとわたしを察してくれていたんだと今頃に気づく。笑

高校の合格発表では番号を見間違えて落ちたと思い込んだり、
2通提出しなければならない大学の卒業論文を1通しか提出しておらず、ゼミの教授から
「今日持って来ないと卒業できない」と電話をもらったり。
しでかしてきたことはほかにも数え切れないほどあるけど、とにかくここぞという大事ごとのときほど、こういうことをしでかす。

まーよくこれでここまでやって来れたなと思う。
自分の意思をどこまでも押し通すより、流れにまかせていくほうがうまくいくんじゃないかとさえ思うほど。
自分でどうこう動かそうとするより、誰かに助言してもらったことのほうがうまくいくんじゃないかと。
大きな大きなものの中で生かされているような。

前置きが長くなったけれど、
うちの娘さんは勉強がすきではない。
机に向かっている様子を眺めていると、だんだんと誰かに似ていることに気づく。のび太だ。
宿題をと机に向かったと思ったら、少しすると鉛筆をくわえ始め、そうしてまた少し過ぎると、机の隣にある本棚から漫画を取り出して読み始める。
一連の動作はいつも心地いいくらいスムーズに行われる。
こんな調子で、なんだかんだで無くなってはいかない学歴社会の中で生きていけるんだろうかと、はじめはものすごく心配だった。
でも、しばらくしてふと気がついた。

心配になるのは、「学歴社会で生きていくこと」を思い浮かべるときで、
彼女だけをちゃんと見つめられているときは、何の心配も思い浮かばない。
何なら私よりも頭の回転も速いしっかり者。
時々爆発的なパワーを発揮して成果を出す。
わたしに必要なことは、人がつくってきた学歴社会というので考えるのではなくて、「彼女をちゃんと見ていてあげること」だ多分。
何が好きで、どんなときが楽しそうで、どんなときが大変そうで。

ヨガを続けてたら五感の感度が上がってくるけれど、
こういうのも感度だな と。
今何をいちばんするべきなのか、
どうすればそれをいい方向に向けられるのか
このひとはどんな気持ちを持ってるのか。 何を求めているのか。
気づけることも感度だな と。
そうしてそんな感度を上げるためにも、ヨガはあるんだなと。
そのためにもじぶんはヨガをするんだなと。

感度を上げていこう。
もし娘さんが想像もつかないようなことを言い出した時に
世間が作ったジャッジを取っ払って、背中を押してあげれるように。
受け入れられるように。
その芽に気づいてあげられるように。水をいっぱいかけてあげれるように。

でも、頭ではわかっていても絶対心配してしまう気がする。
もしそんな時が来たら、じぶんのこれまでを思い出そう。
だいじょうぶや多分。
もし大きなものの中で生かされてるとしたら、
目の前のことに誠実に生きてたら きっとだいじょうぶや。

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