それは突然やってきた。
ちいさい頃からずっと 動物を飼いたい! と訴えてくる娘さんに
「自分でちゃんと面倒みれるようになったらな」なんて声をかけながら
そんな日来る⁇ いやー無いかなあ。
家に動物来る⁇ いやー想像できひんなあー。
訴えてくる度に 頭の中でクルクルと繰り返していた。
動物と共に暮らしたことなんて人生でなかったから、想像できなくて当然だったりするんだろうけれど。
ところが
家族全員の都合が合い たまたまみんなで行くことになった譲渡会。
そこにいた一匹の白い猫。
あれよあれよと話が進んで、2週後にはもうわが家にやってきた。
娘さんが飼いたいと口にする度に いろんなことを想像してみて、考えて、悩んでをしていたのに
実際やって来るときというのは こうもあっさりと決まるものなんやなーと。
よかったのかそうでないのかを決めようとするとよくわからなくなるけど
そうかー とうとうきたかー やっぱり名前和風やったかー
などと受けとめてみると
案外すんなりと馴染んでいきつつある。
「受けとめてみること」 がもたらしてくれるものを 改めて感じている。
時に、自分で判断しないで とりあえずそのまま。
流れに委ねてみる。
いい悪い、損得、そういうものを検討してから行動するのではなくて。
そもそもその場合その良し悪しなどのモノサシの範囲は自分が判断しているから、
考え込んでから行動にうつすと そのモノサシ以上の世界を知り得にくかったりする。
ものすごくナイーブな問題はちゃんと検討する必要があるのだと思うのだけど
感覚的にそこまでのものでないとき(ここでまた自分の感度が問われるなー)
決めきれないとき、踏み切れないとき
流れみたいなものに 周囲の空気みたいなものに委ねてみると
案外、自分で選ぶ以上に 世界を広げてくれたりするものだったりする。
お餅と名付けられた彼女は、ブリーダーさんのところで繁殖猫を引退し 保護猫団体さんに引きとられたらしい。
モチは2~3歳のペルシャ猫で通常は3~4キロくらいあってもいい頃なのに、
うちにやってきたときは体重が2キロくらいだった。
ブリーダーさんのところで繁殖を目的に育てられる猫は、ちいさく育てられるらしい。繁殖相手が体が大きくて力が強いと、相手の男の子が嫌がるから だそうな…。
その話を聞いて、衝撃を受けたわたし。
2週間くらいはゲージから出ないと思います と保護猫団体さんから説明を受けてトライアルを始めたその日に
ゲージを開けてくれと訴えんばかりにパンチし続け、開けた途端、家じゅうを闊歩し探索しはじめたお餅。
その翌朝、わたしのヨガ朝練をじっと見つめて、
後ろ向きにでんぐり返りをするポーズのその一瞬を、走ってきてくぐり抜ける度胸。
ここ?! もっとゆったりくぐり抜けれるポーズいっぱいあったのにここ??!
ていうかまだ2日目やけどもうそんな余裕あんの??!
さすが…。
このちいさなからだで幾度もの出産に耐えてきた彼女。
物音は怖がるのに初めて会う人は全然怖がらないスタンス。
数日彼女を観察させてもらって感じる…
…これ、わたしよりぜったい魂年齢高いやつやきっと…!!!
(ヨガでは魂は輪廻すると考えられていて、80歳のおじいさんでも魂の人生は1回目で、2歳のこどもでも魂の人生が100回目だったりすることがあり得ると考えられている。)
そして彼女に尊敬の念を抱く。
できるだけ、彼女が自由に生きれますように。
食べたいときにたらふく食べて、寝たいときに寝続けて。
穏やかに過ごせますように。
いつか友達のようになれたら…
いやそんなんはいいか、とにかく彼女がやりたいようにやれますように。
娘が飼いたかっただけで、興味もないはずだったのに
すっかり夢中とはきっとこのことだ…。
困った…。
コメント
netusagattaraitteageyou
sugoininnkiknannyattene-
sugoiyanaikai
kanngeki
desu
🌱
うん、モチかわいいよな♡