手放せないこと。

小話

学生の頃からわたしの鞄は重い。
必要なものだけを入れるように設定しても、必ずや重い鞄が出来上がる。
そしてその重さをいちばん左右しているものが、本だったりする。

どんなに荷物になっても、今日読む時間無いんちゃうのっていう時も
「やっぱ持っていこう。」 鞄に入れてしまう。
重いし、持って行かなければいいのに
それでも毎度悩んだ末 本をかばんに入れてしまうその心理の奥には 
手放すことができていない何かがあるんだろうなと思う。

時間を無駄にしたくないと強く思ってしまうほど 何かに焦っているのか
それを読むつもりでいることで、勉強しているつもりになって前進している感をもちたいのか。
( 自信のない裏返しやないかー )
その本がかばんにある というだけで その空気感が纏えるような気でいるのか…
単純に読みたいだけなんかな と思う時もある。
(でもそれなら毎日ちゃんと読むはず)

ちょっとでもかばんを軽くする方法をもうずっと探しているけれど  一向に本が鞄から無くならないんだから、
もうそれは必須アイテムなのか?
重いけど入れといていい◎! 認定!  (え? でも読めへんよな?)

もうこの際、 本を持ち歩いてしまうことを手放してみようとすること を
手放したほうがいいんだろうかなこれ?
とさえ思い始めた今秋。

そんなん入れんかったらいいやん。読まへんねんし重たいやん。簡単なことやん。
誰が聞いてもこう答えてくれるのはわかっているんだけれども
自分の中ではなぜかそう簡単にはいかないんだから
ヘンテコなことを言ってるのはもうずっと知ってるけど、
自分でもわからない何かがそこにあるんだろう。

…何年過ぎても鞄は軽くならない。 そして今日も肩の食い込みが痛い。
何年も繰り返しているこの 手放すor手放せない、なぜ? の作業。
でも 時々こうやってじぶんのやってることを眺めてみるのが、
今のじぶんを把握するためには大切な気もする。

じぶんも、世界も、毎日 少しずつ変わっていくから
面倒くさいことなんだけれど これをくり返すことで ほんの数ミリずつ、
自分はこうだ というのを認識することができて
そのとき、そのときのじぶんにフィットできるいいところを 見つけていけるような。
そして誰も興味のないその作業が、自分の毎日がちょっとよくなることにつながるような。

今日もいそいそと鞄に本を入れて、重たい鞄で家を出る。

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