レモン。

小話

レモンをたくさんいただいた時のこと。
音符を頭の上にのせながらご機嫌でレモンを絞り
柑橘の匂いに全身を漬からせながら皮を刻んで レモネードの素とはちみつ漬けを作る。
せっかくだからと冷蔵庫にたまたまあった有機栽培のレモンもいっしょにして、できる限りの大量生産を狙う。欲ばる。

レモンを切っていくと、有機栽培のものよりいただいたレモンの方が、皮が薄くなるほど身が詰まっていて力強そうにみえる。
いただいたレモンの木はご実家の庭に自生しているそうで、特に手入れをしているわけではないらしい。

手塩にかけて有機栽培されたレモンと、放りっぱなしでその地で大きくなってきたレモン。
見比べて、その生き物にあった場所で生きることのよさを
ものすごく実感する。

自分に合った栄養を摂取できて
土、陽、様々な 自分を大きくしてくれようとする環境がある。
だけど生きていくには時に雨も風も大嵐もあって
それをありのままに受け入れていくことを要されながらも
時間をかけて、根の先枝の先をもう1㎝向こうへ。
それを繰り返しながら 大きくなっていく。

そんなことに思いを馳せながら、
これって、人にも、どんな生き物にも言えることなんじゃないかなあと
また思いを馳せる。

人間もそう、自分がうまくやれなかったとき、
誰かがうまくやれなかったとき、

まずするのはきっと責めることではない。
何を栄養にできるのか、どうすればもう1㎝手をその先へ伸ばせるのか
ほんとうに自分にはそれなのか? その人にはそれなのか?

見つめることができるゆとりも どこまでだったら待てるかという塩梅加減も
ここも、やっぱりヨガで養われるものだったりする。
「これは自分には合ってない」と気づいてやめることも、何回も繰り返すと、それはただの怠慢になりかねる。
そこを怠慢じゃないラインで保てる、ほんとうのところ自分にはどうか みたいなものを感じとれる感度もまた然り。

こういう目に見えない感度のようなものが、磨かれていくのが本質的なヨガのすばらしさだと。

オットサンが買ってきたぱっちもんのルンバですら 
はじめは自分で充電スペースに全然帰れなかったのに、その周りの家具の配置を変えてスッキリさせた途端
ちゃんと充電スペースに帰っているではないか。

誰かのことも自分のことも、ちょっと広い視点で見つめられるように
そのためにも今日もヨガをして
だれかにも、自分にも、のびのびと生きてもらえるジブンであれたらいいなあと思う。

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